Mikage Shinai Christ Church

瀬古牧師からのメッセージ

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2013年10月「助けはどこから」

「助けはどこから」

 御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

  私たちは、誰しも自分の人生が豊かであり、順風満帆であることを願うのではないでしょうか。しかしながら、なかなか自分の思うようにならないのが人生であります。時には思いがけない苦難や試練が襲ってくることもあります。そんな時、皆さんはどのようして試練を乗り越えていらっしゃるでしょうか。どんな試練も一人で乗り越えて来たという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、人間そんなに強い人ばかりではありません。やはりそんな時に助けてくれる誰かがいてくれると、どんなに心強いものでしょうか。皆さんには、試練の時、助けてくれる人はいらっしゃるでしょうか。

子供の頃であれば、親が助けてくれた、先生が助けてくれた、近所のおっちゃん、おばちゃんが助けてくれたということもあったと思います。しかし、大人になってくるとだんだんそういう人がいなくなってきます。また試練や問題も人の力ではどうにもならないほど大きくなってきます。誰にも頼れない時、私たちはどうしたら良いのでしょうか。一人悩み苦しむだけなのでしょうか。

聖書は、そんな私たちに、「あなたを助けてくれる方がいます。」と言っています。聖書の詩篇121篇というところに「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」という言葉があります。この詩篇の作者も試練の時、自分や周りの状況を見て、八方塞がりで不安ばかりがやって来ていました。しかし、そんな中、彼は目を上にあげ、心を天に向けるのです。その時、彼は気づきます。「私を見守り私を助けてくれる神がいる」と。

CJC33そうです。この天と地を造られた神はあなたを助け、あなたを守り、あなたを最善へと導いてくださる方です。実は、あなたにも神の助けの御手が延べられているのです。あなたが心を神に向けるとき神の助けと守りがあることに気づき始めるでしょう。どうか、心を天に向けて神を呼び求めてください。あなたが、神の助け、守りと導きを知ることができるようにお祈りしています。

2013年9月「人生の季節」

「人生の季節」

                        御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

 日本に住んでいて魅力に感じることのひとつは四季があるということではないでしょうか。春夏秋冬それぞれの季節にいろいろな顔があって私たちを楽しませてくれます。聖書に「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1)という言葉があります。人生にもいろいろな季節があるものだというのです。そうですね。私たちの人生には、春のように陽気で暖かく希望に胸膨らむ時もあれば、夏のようにエネルギッシュに情熱を燃やす時もあります。また、秋のように人生の収穫期の時もあれば、冬のようにじっと忍耐をしなければならない時もあります。

さらに聖書は、人生の日常に目を留めて「生れるに時があり、死ぬに時があり、・・・泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、・・・黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。」(伝道の書3:2~8一部略)と人生にはいろいろな時があることも教えています。

確かに私たちの人生にはいろいろな季節があり、いろいろな時があるものです。しかしながら、私たちはその全てを理解しコントロールすることは出来ないのではないでしょうか。いつどのようにして生まれるのか、自分で決めて生まれた人はひとりもいません。また、いつどのようにしてこの世を去るのかを知っている人もいないと思います。私たちは、自分の人生も世の中がどうなっていくのかも分かっているようで、何も分かっていないのではないでしょうか。しかし、全ての事を理解し私たちを最善へと導いて下さる方がいます。その方こそ、この天と地を創られ、私たちを創られた創造者なる神です。

聖書は言います。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3:11)私たちは、人生の季節や時を全て理解し、コントロールすることは出来ないかも知れません。しかし、全てを理解し、全てを最善へと導いてくださる創造者なる神を信頼して神と共に歩むなら何も心配する必要はありません。神がその時々にかなって全てを美しく整えて下さるのです。神を信頼して生きる豊かな人生をあなたも味わうことができるようにお祈りしています。

2013年8月「信じるだけで救われる」

「信じるだけで救われる」

 御影神愛キリスト教会 牧師  瀬古 慎二

 毎日、暑い日が続いていますが、如何お過ごしでしょうか。今日は、イエス・キリストが十字架に掛けられた場面から、私たちがどのようにして救われるのかを学びたいと思います。

イエス・キリストが十字架に掛けられた時、キリストの右と左にも二人の犯罪人が十字架に掛けられました。そして、キリストは、一方の犯罪人に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」(平たく言うと「あなたの罪は赦され、私と一緒に天国にいます。」)と言われました。しかし、もう一方の犯罪人には何も言われませんでした。この二人の犯罪人の明暗を分けたポイントは何だったのでしょうか。二人とも十字架に掛けられるほどの罪を犯したというのに・・・

その理由はこうです。罪を赦され天国に行くと言われた犯罪人は、まず自分の罪を認めました。彼は十字架に掛かりながら、キリストを罵り続けていたもう一方の犯罪人に向かって言いました「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。俺たちは自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。」と。彼は自分が罪人であることをごまかすことなく認めたのです。そして、さらにキリストに向かって彼はお願いしました「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください。」と。すなわち「イエス様、私はあなたが神の子であり、救い主と信じます。どうか私を救って下さい。」と告白したのです。その時、キリストは彼に向かって「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。」と言われたのです。

ここに私たちが救われる道が示されています。それは、私たちの内にある人としての弱さ、足りなさ、罪深さを素直に認めてキリストに「助けて下さい。私を救って下さい。」とお願いし、イエス・キリストを救い主と信じるだけで良いということです。そうする時、キリストは直ちに「安心しなさい。あなたの罪は赦された。あなたは救われました。あなたは今日から神の子です。」と言ってくださるのです。どうか、このキリストを信じて、神様があなたに与えてようとしている愛と恵みに満ちた人生を歩んで頂きたいと願います。

(7月オープンチャペル メッセージより)

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