Mikage Shinai Christ Church

瀬古牧師からのメッセージ

あなたを創られた神

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

今日、私たちは、いろいろな電化製品に囲まれて生活をしています。例えば、テレビ、洗濯機や冷蔵庫といった三種の神器と言われた物から、パソコンやスマートフォンと言った製品に至るまで、本当にいろいろな電化製品に囲まれています。

ところで、皆さんはそれらの製品をどれくらい使いこなしているでしょうか。また、その能力をどれくらい引き出して利用しているでしょうか。ちなみに私はあまり電化製品に強くはありません。ですから、パソコンなどもワープロに毛の生えたぐらいにしか、使いこなしていないように思います。

それでは、こう言った製品の能力を最大限に引き出して使える人がいたとしたら、それは誰でしょうか。やはり、その製品を設計し作った人ではないかと思います。そして作った人は、その製品の能力を引き出すことができるだけでなく、その製品の弱いところも知っていて、どうすれば壊れないのか、長持ちできるか等も知っていると思います。ですから、一つ一つの製品は、それを作った人の手にあると最高の状態で最大限の能力が引き出されて使用してもらうことができるのです。製品にとっては一番幸せな状態と言って良いかと思います。

それでは、私たち人間の場合はどうでしょうか。あなたは自分の人生を最高の状態で生きておられるでしょうか。自分の人生の目的を知り、最高の人生を送っていると言える状態でしょうか。また、自分の人生を、もっとより良く生きたいと願っておられるでしょうか。

もし、あなたが自分の人生を最高の状態で生きようとするなら、どうしたら良いでしょうか。そのためには、あなたを創られた方のところに行くのが一番なのです。なぜなら、あなたを創られた方は、あなたの生まれた理由やあなたの人生の目的を知っておられ、それを示すことができるからです。

もちろんあなたを創られた方とは、ソニーさんでもなければ、パナソニックさんでも、シャープさんでもありません。それは神です。聖書に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」とあります。ですから、もし、あなたが神様のところに行って「私が生まれた目的、私が創られた目的は何ですか?」と神を信頼し、訪ねていくなら神様はあなたにそのことを教えてくださいます。また、電化製品がそれを作った人の手の内にある時、最高の状態で用いられるように、私たちも神様の御手の中に握られるとき、最高の人生を送ることができるようになるのです。あなたを創られた神様を信頼し、神様があなたに与えて下さった最高の人生を送って頂きたいと願います。

 

「人を分け隔てしない神」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

聖書のガラテヤ人への手紙というところにこんな言葉があります。「神は人を分け隔てなさらないのだから・・・」ほんの一言ですが、これは聖書が言っている神がどのような方であるかを明確に表している言葉です。

この世の中は、いろいろな「分け隔て」あるいは「優劣」というのがあることを感じます。身近なところでは、学校や職場での成績によって人の優劣を決めたり、貧富の差や、能力、人種等によって人を分け隔てしてしまう傾向が、私たちの社会にはあると思います。

しかし、聖書の神は決して人を分け隔てなさらない方です。聖書には

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」    

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2月のメッセージ

 

「関係」   御影神愛キリスト教会牧師 瀬古 慎二

 

私たちは、この世においていろいろな人間関係の中で生きています。例えば、親子関係、夫婦関係、友人関係、師弟関係、上司や部下との関係、同僚との関係、数え上げたらきりがないほど、いろいろな人と人との関係があります。この「関係」の良し悪しによって私たちの人生は、良くもなるし悪くもなるところがあるのではないでしょうか。例えば、家族の関係がいつも良いと、それだけで生きる力、喜びが生まれて来るのではないでしょうか。しかし、反対にその関係が悪いと何をやっても楽しくない、いつもどこかに暗い気持ちがある、というようになってしまうものではないでしょうか。聖書に

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」(箴言17:1)

という言葉がありますが、正にその通りだな、と考えさせられます。

それでは、いつも私たちが良い人間関係を保つためには、どうすれば良いのでしょうか。そのためには、まず、私たちが知るべき最も大切な関係があるのです。それは、神との関係です。聖書の創世記というところに、神が創造された最初の人、アダムとエバのお話しが描かれています。彼らが創造された時、彼らの中に罪がありませんでした。そして彼らと神との関係はとても良いものでした。彼らと神との間には確かな信頼関係がありました。彼らは神の愛を一身に受け止め、彼らも神を愛していました。そして、神との関係が良かった時、アダムとエバの関係もとても良いものでした。彼らの間には争いがなく、お互いを尊重し愛し合っていました。しかし、彼らの関係が壊れてしまう出来事が起こりました。彼らが神との約束を破って罪を犯してしまいました。その時から、彼らと神との関係が壊れてしまいました。そして神との関係が壊れてからは、二人の関係にもひびが入って来ました。彼らは互いに責め合うようになってしまいました。遂には、二人の間に生まれた息子達の間にも争いが生まれて兄が弟を殺すという人類最初の殺人事件が起きてしまうのです。

私たち人間が、本当に良い関係を取り戻すために大切なことは、まず一人一人が神との良い関係を築くことです。神との関係が良くなると人との関係も修復されて来ます。そして、神との関係を回復するために来て下さったのが、イエス・キリストです。キリストが十字架で、その命を捨てて下さったことによって私たちの罪を赦して下さいました。その事実を信じる時、キリストが神と私たちの間の仲介者となってくださって、神との関係が回復するのです。そして、私たちは、アダムとエバが神に創造された時に持っていた神との平和を見出し、また、神から来る愛と恵みによって人を愛し、人との平和を作り出す者に変えられるのです。

このイエス・キリストを信じ、神との平和、人との平和を味わう人生を送ることができるよう祝福をお祈りいたします。

 

 

1月のメッセージ

 

弱い時にこそ強い  御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

みなさん、新年あけましておめでとうございます。

今月は聖書の列王記上19:1~8というところから、お話をしたいと思います。この箇所には、エリヤという預言者(神のことばを預かって語る役職)が登場します。今回の箇所の前には、彼の確信に満ちた姿、彼による奇跡的な出来事、そして彼と、バアルという異教の神の預言者との対決と勝利などが描かれていることから、クリスチャンの間では、「勝利者」のようなイメージが強い人物です。

しかし、この箇所には、非常に弱気で、恐がるエリヤが描かれています。これは直接的には、当時のイスラエルの王妃イゼベルが、自らが崇拝するバアルの預言者がエリヤに殺害されたことに怒り、彼を24時間以内に殺すと宣言したゆえですが、エリヤは逃げ、冷静さを失い、「もう疲れた」と死さえ求めるようになります。神は、そのようなエリヤに失望したり、無理に叱咤激励したりすることはありませんでした。神はエリヤをそっと見守り、休ませ、またパンと水を与えて飲み食いさせ、眠らせ、また食事を与えるなど、非常にきめ細かいケアを行っています。

聖書が語る神は、信仰者が、信仰に燃えているときだけ愛する神ではありません。信仰者であっても、疲れるとき、神が分からなくなるとき、燃え尽きるときはあります。神は、そのようなときにこそ寄り添ってくださるのです。エリヤはなぜなぜこんなに弱り果てて疲れてしまったのでしょうか。聖書から推測すると、彼のエリート意識ゆえの孤独感(本当に頼ることのできる仲間は与えられていました!)、権力者との戦いによるストレスが原因であると思われます。

旧約聖書のイザヤ書40:31にはこのようなことばが書かれています。

 

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」

 

エリヤは、「主を待ち望む」のではなく、自分でがんばろうとしてしまいました。だからこそ、孤独感を深め、ストレスを覚え、また休むこともなかったのだと思われます。「主を待ち望む」とは、神に任せることです。重荷を、祈りのなかで、礼拝のなかで、神の前に降ろすことです。それは私たちを疲れから解放してくれるのです。

しかし、このような「疲れ」の経験はエリヤにとって有害だったというわけでもありません。エリヤにとって、それは自らの弱さを知る経験でした。人は、自分の弱さを知るとき、もっと神を信頼するようになります。興味深いことに、聖書に出てくる登場人物はだいたいが失敗しています。エジプトの総理大臣として活躍したヨセフという人物は、若い頃は自己中心で家族を見下げ、結果として奴隷として売られてしまいます。イスラエルをエジプトから脱出させたこととして知られるモーセは、エジプトでエリート教育を受けたことで、傲慢になっていたと思われ、殺人事件を犯してしまいます。イエスの弟子ペテロも、熱心な性格でしたが、軽はずみで、口だけで、最後にはイエスを三度に渡り否認していまいます。新約聖書のほとんどの手紙を書いたパウロも、かつてはイスラエルのエリートで、新興のキリスト教を迫害していました。

パウロは、新約聖書のコリント人への第二の手紙12:7にて、自分のからだには「とげ」があると書いています。これは、何らかの障害や病気であったと思われますが、それは彼が「高慢にならないように」与えられたものであると語っています。それを取り去ってくださるように祈ったものの、神様の答えはこのようなものであったと言います。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」それに対し、「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」とパウロは言っています(12:9)。

自分の弱さを覚える経験は、必ずしも悪いものではありません。もちろん、エリヤのような経験をしないにこしたことはないかもしれませんが、そのような経験もまた、神は善いこととして用いてくださるのです。このことを覚えながら、新しい一年をスタートさせましょう。

 

 

12月のメッセージ

 

感謝して生きる  御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

最近こんな記事を読みました。

「パナソニックの創業者、松下幸之助さんは、現役時代、新入社員の面接に立ち会ったそうです。そして最後に必ずした質問があったそうです。それは『あなたは自分には運があると思いますか。運がないと思いますか。』つまり、自分はついている人間だと思っているか、ついていないやつだと思っているか、と聞いているのです。そして、運があると答えた人を採用したそうです。なぜ、そんなことをされたのでしょうか。それは、運がある、と言える人は自分以外の誰かのおかげで今があると言える人だからです。松下さんは、別に運勢や占いを信じていたのではありません。ただ自分は自分の努力や才能だけで生きてきたと自負する人を好まなかったようです。誰からの助けも支えももらわずに生きている人間など一人もいないのです。誰かに応援してもらって今生かされているのが人間だと気づかない人は、しばしば鼻持ちならない人になる、ということをよく御存じだったのです。」

皆さんは、この記事を読んでどう思われるでしょうか。聖書に

 

「いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。」(Ⅰコリント4:7)

 

という言葉があります。この言葉の意味をひとことで言うとすれば「私たちの持っているすべてのものは、神様からの贈り物なのですよ。私たちの才能や能力も、神様から与えられたものなのですよ。そして何よりも私たちの命は神様から与えられたものですよ。」ということを言っているのです。考えてみると、誰も自分で生まれて来ようとして生まれて来た人はいません。また、親が、“私”という人間を「顔はこんな感じで、性格はこうで…」と計画して生まれさせることもできません。そこには神様の計画があって、今のこの時代にこの国で生まれるように命を与えて下さったのです。ですから、私たちは自分に命を与えてくれた神様を知り、感謝して生きる時、本当の自分の人生の目的を知り、本来の自分らしい人生を生きることが出来るようになるのです。あなたに命を与えられた神様をぜひ知っていただきたいと願いつつ、

祝福をお祈りします。