Mikage Shinai Christ Church

瀬古牧師からのメッセージ

実り豊かな人生

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

梅雨の蒸し暑い季節が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。雨の続く季節は、ちょっとしんどいなと思いながらも、雨が降らないと作物が育たないなど、いろいろと考えさせられる時期です。

ところで、皆さんの人生はどのような人生でありたいと願われるでしょうか。実り豊かな人生でしょうか。それとも実り少ない人生でしょうか。おそらく誰もが実り豊かな人生を送りたい、と願っておられることでしょう。その願いはとても良いものだと思いますし、実は、神様もあなたの人生が豊かな実を結ぶ人生であって欲しいと願っておられます。そして、そうなるように力と導きを与えて下さるのです。

聖書に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。」(ヨハネによる福音書15章5節)というイエス・キリストの言葉があります。

ここでは、ぶどうの木をたとえとしてイエス・キリストと私たちの関係が描かれています。イエス・キリストがぶどうの木で、私たちはその枝だと言うのです。枝が木にしっかりと結びついているなら、木から栄養が流れて来て時が来ると自然に豊かな実を結ぶ事ができます。それと同じように私たちがイエス・キリストに結びついているなら、すなわちイエス・キリストを信じ、キリストと共に生きるなら、キリストから生きる力、知恵、希望、愛といった様々な栄養が流れて来て私たちの人生に豊かな実を結ぶようになる、というのです。また、その実というのは、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ人への手紙5:22-23)だと、聖書は語っています。

あなたの人生にも変わることのない愛という実、尽きることのない喜び、生み出される平和といった実を結びたいと思われないでしょうか。ぜひ、イエス・キリストを信じてキリストと共に歩む人生の豊かさを味わって頂きたいと思います。

 

 

良い実を結ぶ人生

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

みなさんは、果物は好きでしょうか。私は最近苺狩りに行ってきました。楽しみにして行ったものの、苺はあまりたくさんは食べられないということを知りました(笑)

さて、聖書において、人生は「蒔くこと」にたとえられています。当然のことですが、果物の実は、種を蒔くことなしに実りません。そして、苺の種を蒔くと、苺の実ができ、りんごの種を蒔くとりんごの実ができます。苺の種を蒔いたのに、りんごの実ができるということはありえないのです。同じように、聖書においては、

 

「自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」(ガラテヤ人への手紙6章8節)

 

と言われています。ここで言う「肉」は、一般の意味ではなく、「罪」を意味しており、「肉にまく」は、神が悲しまれる「罪」を重ねることです。「霊」は、「神的なもの」という意味で、「霊にまく」とは、愛・喜び・平和など、神が望まれるあり方に生きることです。

私たちは、人生という畑に、何を蒔くかということに注意する必要があります。私たちは、蒔いたものしか刈り取ることはできません。罪を重ねる生き方は、「滅び」という最悪の結果に至り、愛・喜び・平和など、神が望まれる生き方は、「永遠のいのち」、すなわち喜びにあふれた人生を得るのです。

私たちにとって幸いであるのは、聖書が語る神は、私たちに「種」を与えてくださるということです。私たちは、肉に蒔いてしまう者であるかもしれません。しかし、そのような私たちに、イエス・キリストを通して、愛することを、喜ぶことを、そして平和を作ることを教え、そのような生き方へと導いてくださるのです。

果物の収穫も時間がかかります。自然界の原則と同じように、私たちの人生にとっての収穫も時間がかかります。しかし、聖書が約束しているのは、時間がかかっても必ず実を結ぶのだということです。前述の箇所の続きにはこのようにあります。

 

「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」   (ガラテヤ人への手紙6章9節)

 

必ず、刈り取ることのできる日が来ます。ですから、私たちは善に励むことができるのです。あなたはどんな種を蒔くでしょうか。神に愛・喜び・平和を与えられ、善に励む先には必ず大きな祝福があります。神を信じ、神が与えてくださる良い「種」を良い土壌に蒔いていきましょう。

 

 

弱さを誇る

 

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

皆さんは、誰かから「あなたには何か誇れるものはありますか?」とか「何か自慢できるものはありますか?」と聞かれたら何と答えられるでしょうか。普通、私たちは誇れるもの、自慢できるもの、と言えば自分の能力や持っているものの事を言うのではないかと思います。例えば、ピアノやギターが弾けるとか、英会話が得意とか、テニスやゴルフが上手ですとか、また、職場では~という役職にありますとか、そういう事を考えるのではないかと思います。どちらかというと自分の強みを誇るものではないかと思います。

聖書の登場人物にパウロという人がいるのですが、彼は聖書の中でこんな事を言っています。

「ところが、主が言われた、

『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。・・・なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」

 

皆さん、どうでしょうか。普通、私たちは自分の弱さというのは、あまり人に知られたくない、できれば隠しておきたいと思うものではないでしょうか。でもパウロという人は「誇るとしたら自分の弱さを誇りたい。」というのです。なぜ彼はこんなことを言うのでしょうか。負け惜しみ、強がりで言っているでしょうか。そうではありませんでした。彼は人に誇ろうと思えば誇れる能力を持ち合わせていた人でした。家系的にも申し分のない家柄の人物でした。しかし、彼にとっては、そのようなものはどうでも良かったのです。

では、どうして彼は「自分の弱さを誇る」と言ったのでしょうか。それは、「なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」と言っているように彼は自分が弱くなればなるほど、自分の弱さに気づけば気づくほど、私は強くされる、という不思議な法則を経験していたからでした。

つまり、彼は自分の能力、自分の持っているものを頼みとして生きるよりも、神と共に生き、神に頼れば頼るほど、神の偉大な力と知恵が与えられ、自分でも考えられないような力と知恵、祝福を味わうことができたのです。そして、それをいつも意識させてくれるのが自分の弱さだったのです。実は彼には肉体的なハンディ、弱さがあったと言われています。彼はそれが癒されるように何度も神に祈ったのですが、応えられませんでした。その代わりに上記の言葉を主(神)から言われたのでした。もし、彼が何の弱さもない人であったなら、高慢になって神に頼ることをやめていたかも知れません。しかし、彼は自分の弱さがあるがゆえに、神に頼ることを忘れないで生きることができました。そして、神に頼れば頼るほど神の偉大な力によって強くされることを経験できたのです。それで彼は「喜んで自分の弱さを誇ろう。」と心から言える人になったのです。

私たちは自分の弱さに気付かされることがあると思います。しかし、それは同時に神の恵みを知るチャンスでもあるのです。パウロのように弱さを誇れる人生を歩みたいものです。

 

 

あなたを創られた神

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

今日、私たちは、いろいろな電化製品に囲まれて生活をしています。例えば、テレビ、洗濯機や冷蔵庫といった三種の神器と言われた物から、パソコンやスマートフォンと言った製品に至るまで、本当にいろいろな電化製品に囲まれています。

ところで、皆さんはそれらの製品をどれくらい使いこなしているでしょうか。また、その能力をどれくらい引き出して利用しているでしょうか。ちなみに私はあまり電化製品に強くはありません。ですから、パソコンなどもワープロに毛の生えたぐらいにしか、使いこなしていないように思います。

それでは、こう言った製品の能力を最大限に引き出して使える人がいたとしたら、それは誰でしょうか。やはり、その製品を設計し作った人ではないかと思います。そして作った人は、その製品の能力を引き出すことができるだけでなく、その製品の弱いところも知っていて、どうすれば壊れないのか、長持ちできるか等も知っていると思います。ですから、一つ一つの製品は、それを作った人の手にあると最高の状態で最大限の能力が引き出されて使用してもらうことができるのです。製品にとっては一番幸せな状態と言って良いかと思います。

それでは、私たち人間の場合はどうでしょうか。あなたは自分の人生を最高の状態で生きておられるでしょうか。自分の人生の目的を知り、最高の人生を送っていると言える状態でしょうか。また、自分の人生を、もっとより良く生きたいと願っておられるでしょうか。

もし、あなたが自分の人生を最高の状態で生きようとするなら、どうしたら良いでしょうか。そのためには、あなたを創られた方のところに行くのが一番なのです。なぜなら、あなたを創られた方は、あなたの生まれた理由やあなたの人生の目的を知っておられ、それを示すことができるからです。

もちろんあなたを創られた方とは、ソニーさんでもなければ、パナソニックさんでも、シャープさんでもありません。それは神です。聖書に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」とあります。ですから、もし、あなたが神様のところに行って「私が生まれた目的、私が創られた目的は何ですか?」と神を信頼し、訪ねていくなら神様はあなたにそのことを教えてくださいます。また、電化製品がそれを作った人の手の内にある時、最高の状態で用いられるように、私たちも神様の御手の中に握られるとき、最高の人生を送ることができるようになるのです。あなたを創られた神様を信頼し、神様があなたに与えて下さった最高の人生を送って頂きたいと願います。

 

「人を分け隔てしない神」

御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古慎二

 

聖書のガラテヤ人への手紙というところにこんな言葉があります。「神は人を分け隔てなさらないのだから・・・」ほんの一言ですが、これは聖書が言っている神がどのような方であるかを明確に表している言葉です。

この世の中は、いろいろな「分け隔て」あるいは「優劣」というのがあることを感じます。身近なところでは、学校や職場での成績によって人の優劣を決めたり、貧富の差や、能力、人種等によって人を分け隔てしてしまう傾向が、私たちの社会にはあると思います。

しかし、聖書の神は決して人を分け隔てなさらない方です。聖書には

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」    

                                                       … Continue reading