Mikage Shinai Christ Church

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2018年1月 「一つのこと」

 

 御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

明けましておめでとうございます。

昨年の「教会だより」1月号に「一年の計」という題で原稿を書かせていただきました。読んで下さった方もおられると思いますが、皆さんにとって昨年は、どんな一年になったでしょうか。

一年前に計画した計画通りに過ごすことができたでしょうか。「計画通りに過ごせました。」という方もいらっしゃるでしょうし、「いや~なかなか人生思い通りにはいかないものですね。」という方もいらっしゃるかと思います。

 それでは、今年はどうでしょうか。今年に向けて何か計画や抱負を持っておられるでしょうか。「もちろんです。」という方や「いや、まだ何も。」という方もいらっしゃるでしょう。また、「どうせ計画しても続かないから考えるのをやめました。」という方もいらっしゃるかもしれません。

 最近読んだ記事に「新年の抱負を決めた人の50%は1月末までに挫折し、10人中9人は3月までに継続を断念しています。」とありました。ひょっとしたら、「あっ!これ私の事だ。」と思った方がおられるかも知れません。

 でも、そんなあなたにもお勧めの方法があります。それは、この記事にも書いてあった事ですが、「一言を見つける。」ということです。それは、センテンスや文章ではなく、たった一つの言葉です。「愛・喜び・平安・・・」といった一つの言葉です。その一言を見つけてそれに集中するのです。そうしていく時に人生がシンプルになり、本当に集中すべきことに集中して人生に変化が生まれる、というのです。

 イスラエルのダビデ王は、こんな詩をうたっています。「私が神にお願いすることは、ただ一つです。私の求めてやまないものとは、主の宮で黙想にふけり、いのちのある限り主の前で暮らすこと、比べようもない、主の麗しさと完全と栄光とを喜ぶ特権です。」(リビングバイブル訳)彼は、一生をかけて一つのことを願い求めました。それは、主(神)と共に生きることでした。実際に彼は神と共に生きる、という一点に集中して生涯を送りました。そして、彼は神からの祝福を受け、イスラエルの偉大な王となりました。

 人には多くの計画がありますが、本当に大切なことを発見してそれに集中できる人生は幸いではないでしょうか。神様はあなたにもその一つを示し導きたいと願っています。あなたも、神様にその一つを示していただき幸いな一年、一生を送っていただきたいと願います。

 

 

2017年9月 「心を満たすもの」

 御影神愛キリスト教会 牧師 瀬古 慎二

 皆さんは、子どもの頃に叶えられなかった夢や願望はあるでしょうか?おもちゃが欲しかったのに買ってもらえなかった、きれいな洋服を買ってもらえなかった、もっとお腹いっぱいお菓子を食べたかった等の日常の些細なことであってもかまいません。そのような経験はあるでしょうか。

私たち人間は、叶えられなかった願望や欲求が満たされないとどこかでそれを埋め合わせたい、という思いを持つようです。ですから、大人になってからも子供の時に叶えられなかった願望、欲求を満たそうとしてしまうのだと思います。「大人買い」というのもその一つかもしれません。

 
 子どもの頃にかなえられなかった願望や欲求を満たそうというだけなら、なんとかなるかも知れませんが、実は私たち人間の中には、大きな空洞があるのです。フランスの哲学者パスカルがこのように言っています。

「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものによっては埋められることができない。」

私たちのうちには、いろいろな夢や願望、欲求があって、それをなんとか満たしたい、そして心の満足を得たいと思うのですが、その中でも神様でしか埋めることができない空洞があるとパスカルは言っているのです。
 

 しかし多くの人が、神様でしか埋めることができない空洞に別の何かで満たそうとしています。ある人は仕事で成功することによって、また、ある人はお金や物を得ることによって、また、ある人は異性を求めることによって等、様々な方法でその空洞を埋めようとしているのではないか、と思います。

しかし、どんなにいろいろなものを試してみても、その空洞は決して埋めることができません。なぜなら、その空洞は、神様でしか埋められないからです。ですから、神様を心の内に迎え入れない限り、私たちの心のうちに、常に何か満たされないものが残るということになるのです。

  聖書の中にイスラエルで最も栄華を極めたソロモンという王がいます。この人は、人生を考えた時に

「空の空、空の空、いっさいは空である。」(伝道の書1:2)

と言いました。人生は空しいと言ったのです。しかし、ソロモンは何も持っていなかったのかというとそんなことはありませんでした。彼はありとあらゆる財産を持ち、知恵と知識に富んだ人であり、したいことはなんでもできた人でした。しかし、彼は「人生は空しい」と言ったのでした。なぜでしょうか? それは、やはり彼の人生にも神様が必要だったからなのです。

 
 彼は、さらにこう言っています。

「だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。」

(伝道の書2:25~26a)

と。すなわち、人の人生に本当の喜びと満足が与えられるは、その人が神と出会い、神と共に生きる時にある、と言っているのです。

 
 愛する皆さん、もし、あなたが何をやっても何か空しさがある、もの足りなさがあると感じておられるならば、それはあなたの心に神様が必要であるというサインではないでしょうか。そんな時は、ぜひ、心を開いてあなたを愛し、あなたの心を満たしたいと願っておられる神様を心に迎えていただきたいのです。そして神様と共に生きる本当に満たされた人生を歩んでいただきたいと願います。

2017年8月 「感謝の日々を」

御影神愛キリスト教会 伝道師 杉本満子

 暑い夏がやってきました。「暑い!暑い!」と、つい口をついて出てきます。つい数か月前までは、「寒い寒い」と言っていたのに・・・。私たち人間は、よく呟き不平を言うものだなーと思わされます。

聖書の中にも「暑い暑い」と文句を言った人のことが出てきます。それは、ヨナと言う人物です。(この人について細かく説明しませんので、知りたい方は、旧約聖書のヨナ書を読んでください。)ある時、ヨナはニネベの街の高台に立って、その街の成り行きを見ていました。ニネベの街は、今からおよそ3000年前アッシリヤ帝国(BC900-607)の首都でした。ニネベはチグリス川の東岸にありましたから暑さが酷かったのです。

ヨナはカンカン照りの丘に立っていましたから、暑くてたまりません。その時、優しい神様は、ヨナのために一本の「とうごまの木」を生えさせてくださいました。「とうごま」は見る間にスルスルと伸びて葉を茂らせて、ヨナの頭の上に日陰を作ってくれました。ヨナは大変喜んで、気持ちよく街を眺めていました。しかし、神様は、翌日一匹の虫を送って、「とうごま」の根元をかじらせてしまいました。「とうごま」は、暑い太陽の熱の下でみるみる萎(しお)れ、枯れてしまいました。そこでヨナのつぶやき、不満の言葉が始まったのです。「こんな暑いなら、生きているより死ぬ方がましだ!」と、少々大袈裟ですね。聖書を読むと、ヨナは、よく呟く人、不平を言う人だなーと思わされます。

 ところで、私たちはどうでしょうか?物事がうまくいっている時は、良いのですが、少し自分の思い通りに行かないと、不平不満が出てきて、「神が愛ならば、どうしてこんなことが起こるのか?」と言って、悪いことはすべて神様のせいにしてしまうことはないでしょうか?
 私たちの神様は、私たちを苦しめたり、いじめたりする方ではないのです。良い人にも悪い人にも等しく愛を注ぎ、恵みを与えてくださる方です(マタイ5:45)。だから、どんな状況にあっても、神様にすべてをゆだねて、お祈りしていくならば、必ず良い方向に導いてくださり、良い解決を与えてくださるのです。

 よく知られている聖書の言葉に

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

という言葉があります。感謝しながら、喜びながら過ごしても一日は過ぎていきます。ブツブツとつぶやき、不平不満を持ちながらも一日は過ぎていきます。どちらが幸せな道でしょうか?

 まだまだ暑い日が続くと思いますが、四季に恵まれた日本に生まれたことを感謝しましょう。そして、大自然を造られた神様に感謝しながら日々を暮らしていきたいものですね。

2017年7月 「神様は日本と日本人を見捨てませんでした」

 御影神愛キリスト教会 名誉牧師 杉本俊輔

 

 イエス様は弟子達に宣教命令を残しました。

「全世界に出て行って、全ての造られたもの(人)に福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受けるものは救われる。」マルコ16:15〜16

 この命令がアジアの最西端の日本に届くまでには、なんと1800年の年月が必要でした。それも地球の西回りをして届けられたのですから、奇跡と言うべきでしょう。神様は、日本を忘れてはいませんでした。

 江戸末期に神様は、欧米諸国のクリスチャン達に「日本人にキリストの福音を」届けようとの使命を与えてくれていました。しかし、当時の日本は鎖国の時代(1639年〜1853年)214年間でしたから自由に外国人が入国できる状態ではありませんでした。鎖国の時代は、キリスト教(切支丹・カトリック)に対する迫害は厳しく、「宗門改め」、「檀家制度」「五人組制度」などいろいろな、規制と監視があって、信仰の自由はありませんでした。

 時が来て1853年2月8日(嘉永6年)米国海軍軍人マシュー・ペリーが4隻からなる艦隊を率いて浦賀に来航して、日本に開国を迫りました。そして、1854年3月3日日米和親条約を結び正式に開国しました。しかし、開国の後も1873年(明治6年2月24日)まで「切支丹禁制」の高札は掲げられ、信教の自由は奪われ、恐怖政体の中にあったのです。

 しかし、この長い霊的暗黒の中でも神様は、日本を愛し、救霊の信仰と情熱を持った人々を起こしてくれていました。戦況の命令を受けた外国のクリスチャン達は、日本が開国するまでに様々の準備をしていてくれたのです。中でも、アジア人宣教に使命を持っていて、中国伝道に携わっていた、モラビィア兄弟団の指導を受けたドイツ人宣教師カール・ギュツラフです。彼は不思議な導きで、1832年ごろマカオで3人の日本人に出会いました。愛知県知多半島の鳥羽港の漂流漁民(音吉、岩吉、久吉)です。彼らの助けを受けて日本語を学び、「ヨハネ福音書」とヨハネ第一第二第三書簡」を和訳を(これば、プロテスタントの最古の和訳聖書です。)しました。これをシンガポールで出版しました。しかし、この聖書が日本人に届いたのは、1859年に米国長老教会の医療伝道宣教師ジェームス・カーチス・ヘボンが持って来るまで23年の年月がかかりました。

 さて、ヘボンも日本の人々を愛し、日本宣教に重荷を持つ一人でした。彼は、米国のプリンストン大学、ペンシルバニア大学医学部で医学博士の学位を取得し、豊かで平穏な生活を日本人戦況のために捧げ、米国長老教会の医療伝道宣教師(専門は脳外科)として来日しました。当時まだ、切支丹禁制の高札は撤去されていませんでした。公然と戦況活動することの困難な中、神様から頂いた知恵と導きで、彼が始めたことは、「医療活動」、「聖書の日本語訳」、「学校教育」=「ミッションスクール」、日本人クリスチャン指導者の養成」=「神学校」と「外国人宣教師の指導」でした。そして、後に続く人々の道備えをしてくれたのです。ちなみに「ヘボン式ローマ字」は彼の考案です。

 これらの二人だけではなくこの後も多くの宣教師達が日本宣教に福音の使者として来日してくれたのです。日本は神様に忘れられていません。神様に愛されている国です。

 私たちの責務は、キリスト様の福音を隣人に伝える事ですね。

2017年6月「あなたの本当の願い」

  『苦難にある者たちの告白』
~ニューヨークの病院の壁に書かれていた作者不明の詩~

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるように命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ

 皆さんの願いは何でしょうか?欲しいと思う物、叶って欲しいと思う状況、なりたい自分・・・いろいろの願いがあると思います。叶えられない願いもたくさんあったとは思いますが、叶えられた経験もたくさんあったのではないでしょうか。叶えられた時は幸せを感じ天にまで上った気になるのはもちろんのことですね。でも、少し時間が過ぎるとその幸せな気分はどこかへ行ってしまい、虚しさが襲い自分の人生は何なのだろうと思う気持ちに苛まれた経験もないでしょうか。

 私たちはいろいろの願い事を持っています。でも本当に自分を幸せにしてくれる願い事を諦め、表面的な願い事が叶えられることだけを追い求めてはいないでしょうか。そのうちに本当の必要から出ている願いが何であったのかも忘れ、願ったことが叶えられ、でも忘れ、願って叶って忘れて、そして叶えられないことに対しての怒りを時々経験して・・・の繰り返しをしていませんか?それは皆さんの心の底にある諦め切った本当の願いがあるからではないでしょうか。小さかった時にしっかりと抱きしめてもらいたかったこと。いつも他人と比較して惨めに思っている自分に「誇りに思うよ」って言って欲しかったこと。自分を無視していつも喧嘩している両親を前に「私を見て」と言いたかったこと。人によってそれは様々です。でも、それは昔のことで今更願っても無駄と思い諦めていませんか?

 聖書の神様は目には見えませんが、時間や空間を超えて私達を愛し必要なことをしてくださいます。本当の願いを今してもその願いを聴き応えてくださる神様なのです。この病院の壁に思いを書いた方の祈りは多分表面的なものだったのでしょう。そしてその祈りは応えられなかったのでしょう。でも、時間が過ぎる中で本当の心の底にあった願いが叶えられたことを発見し、その方が自分を幸せにしてくれたと気づいたのだと思います。

 私たちはいくら表面的な祈りをして、それが叶えられたとしても本当の変わらない幸せを手にすることはできないのです。でも、恐れずに自分の本当の願いを神様にお伝えください。そして何によっても揺り動かされることのない幸せが時間や空間を超えて祈りに応えてくださる神様によって与えられることを経験できます。

 神様、この文章を読んだ方の蓋をしてきた本当の願いが何であるのかをその方に教えてください。そして、「私の本当の必要はこれです」とはっきり神様の前に言えるようにしてください。そして神様の愛から出るすばらしい応えを手にできるようにして下さい。

 イエス様の御名によってお祈りします。アーメン